いち報

言葉で伝わるのは1割

私は軽々しく「死ね」だとか「殺す」だとか、「死にたい」だとかを口にしてしまう人間です。

直そうと意識した時期もありましたが、なんとなく生きているうちにまた、軽々しく口にするようになっていました。

 

そんなふうに死を軽んじていた人間に、「死」というものが、突然、降りかかってきました。

 

大学で、同じ研究室に所属している同期の女の子が、亡くなった、という報せが、15日の朝、はいったのです。

 

4日に、大祭に顔を出しに来ていた彼女とお茶をしたばかりでした。

 

11日に、共通の知人からの合コンの誘いに「私バイトだ〜!」「まじかー残念」「今度また飲も!」「うん、べろべろになろ笑」とやりとりを交わしたばかりでした。

 

12日の夜、彼女はクモ膜下出血で倒れ、翌朝、亡くなりました。

 

若すぎるよ。

帰ってきてよ。

なんで私じゃないんだろう。

なんであの子なんだろう。

 

控えめに言って、とても良い子でした。

浪人していたので私よりもひとつ上でしたが、そんなことおくびにも出さず、いつも自然体でいてくれる子でした。

とても好きでした。

 

彼女は、先月半ばにお母様を亡くしたばかりでした。

今月頭に会ったとき、ようやくすこし落ち着いたよ、と言っていたのに。

 

ブログ書いたら落ち着くだろうか、頭の整理が出来るだろうかと思いましたが、てんでダメですね。

 

明日、前夜式に行って、お別れをしてきます。

顔を見るのがとても怖い。

怖いです。

 

でもお別れはしなくちゃ。

大好きだぞってつたえなくちゃ。

お母さんにたくさん甘えるんだよって。

 

でもお姉ちゃんはお父さんに譲ってあげるんだよ。

連れていったらだめよ。

 

 

キリスト教では、死は不幸なことではないそうです。

 

きっと普段だったら気にも留めないことだけど、あまりにも急すぎる死を前にすると、そういう価値観に救われるものですね。

 

よくわかりませんが。

ただただ、安らかに眠ってほしい。